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STUDY03 ジェセル王のピラミッド
 
エジプトとピラミッドの歴史

■先王朝時代 BC.3200〜2920

 

 ジェセル王が統治していた第3王朝は、社会的な面よりも哲学宗教の分野で新たな発展を遂げた時代である。先王朝時代から、王の墓は地上の権力の確立と結びつけられ、王宮のイメージを借りてそれを表現していたが、第3王朝の成立と共に、ファラオの神性と死後の生活、死を超越したファラオの天上の権力のシンボルとなり、王墓を建設することによって国全体がそのようなファラオの力の恩恵にあずかることができると考えられるようになった。

 ジェセルの名で知られたネチェリケト王(ジェセルの名が使われるようになったのは神王国時代以降)の宰相で建築家のインホテプは、王のためにまずマスタバ墳墓を作り、後にマスタバを積み重ねてさらに高い墓を建造しようとした。こうして生まれたサッカラの階段ピラミッドは、ファラオが昇天するための、天に向かってのびる階段ないしは天から地上に降ろされた階段を象徴している。

 

キーワード

【ハトホル】
牛の頭(もしくは牛の耳)を持つ女神で、女性、音楽、死者の守り神。
【宰相】
古代エジプトの行政府の長を示す照合。ファラオに代わって国の行政をあらゆる面から監督した。
【マスタバ】
先王朝時代と古王国時代に作られた、岩窟墓以外の墓を示す名。マスタバという語はアラブ語で「ベンチ」を意味し、この種の墓の上部構造物がベンチに似ていることからそのように呼ばれるようになった。
【ミイラ】
乾燥させ細布で巻いた死者の遺体。この語はアラビア語ムミヤー、ペルシア語ムームに由来するが、瀝青(アスファルト)をも意味したらしい。実際のところ、エジプトのミイラに瀝青が使われるようになるのはローマ時代になってからである。
【葬祭殿】
ジェセル王のピラミッドの北に位置する。ピラミッドの下にある埋葬室への入口が、この中に作られているが、のちに建設されるピラミッドでは、入口の位置は変わらないが、葬祭殿自体はピラミッドの北ではなく東に作られるようになる。

■初期王朝時代 BC.2920〜2635

 ●第0王朝

蠍王、ナルメル

 ●第1王朝 BC.2920〜2780

ホルス=アハ、ホルス=ジェル、ホルス=ジェト、デン、アジブ、セメルケト、カア

 ●第2王朝 BC.2780〜2635

ヘテプセムケイ、ラーネブ、ニネチェル、ペルイブセン、カーセケムイ

■古王国時代 BC.2635〜2140

 ●第3王朝 BC.2635〜2561

サナクト、ジェセル、セケムケト、カーバ、フニ

 ●第4王朝 BC.2561〜2450

スネフェル、クフ、カフラー、メンカウラー、シェプ・セスカフ

 ●第5王朝 BC.2450〜2321

ウセルカフ、サフラー、ネフェルイルカラー・カカイ、シェプセスカラー、ネフェルエフラー、ニウセルラー・イニ、メンカウホル、ジェドカラー・イセシ、ウナス

 ●第6王朝 BC.2321〜2140

テティ、ペピ1世、メルエンラー、ペピ2世

■第1中間期 BC.2140〜2100

 ●第6、7、8、9、10王朝

■中王国時代 BC.2100〜1750

 ●第11王朝

 ●第12王朝

アメンエムハト1世、センウスレト1世、アメンエムハト2世、センウスレト2世、センウスレト3世、アメンエムハト3世、アメンエムハト4世、ソベクネフェルウラー女王

■第2中間期 BC.1750〜1550

 ●第13、14、15、16、17王朝

■新王国時代 BC.1550〜1076

■第3中間期 BC.1076〜712

■末期王朝時代 BC712〜332

■グレコ=ローマン時代 BC.332〜AD.395

 
ジェセルの複合体
 
伝承によると、この階段ピラミッドは第3王朝2代目の王で、ジェセルの名で知られたホルス・ネチェリケトのために、有名な建築家イムホテプによって建設された。ピラミッドとそれに関連した建造物は「ジェセルの複合体」を形成しており、石灰岩の周壁に囲まれている。周壁は15ヘクタールの敷地を囲み、境内の中心にピラミッドがそびえている。入口の門は南東側だけにあるが、塞がれてはいなかったらしい。

 

階段ピラミッド

ジェセル王のピラミッドは、本来60mほどの高さがあり(現在は58.7m)、これは高さ8m、長さ63mの最初の四角いマスタバをさらに高くして作られたものである。このマスタバの下に、埋葬室に通じる深さ28mの四角い竪坑があり、埋葬室には副葬品をおさめるための通廊がついていて、青いタイルで装飾された部屋と回廊が王の魂の住まいである埋葬室領域に幾つも配置されている。東側には、深さ32mの竪坑が11掘られ、それぞれ水平の通廊がついていた。それらは王の家族の墓として使われていたが、ピラミッドが東へ拡張されたために、以前の構造物に組み込まれたのである。後に墓の規模をさらに大きくすることにより、次々と段を重ねたことから、建造物は階段の形をとるようになったが、それは象徴的に、王の魂の昇天を容易にするものであった。こうして、マスタバはまず4段、次に2段が重ねられ、全部で6段になった。
 


 

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