「キャラクターの独り歩き」という言葉を、お聞きになったことがありますか?作者が創りあげたキャラクターだからといって、それは必ずしも100%作者の意志によって動くということではなく、あたかも自分が独自の意志を持って行動を始めるかのような部分ができてくる。そうした変貌を、「キャラクターが独り歩きする」というのです。
また、そういった独り歩きするようなキャラクターが、作品がヒットするための、ひとつの条件ではないか、とも言われています。「独り歩きをし始めたとき、初めてそのキャラクターは、生命を持ったといえるのだ」──そういう意見も、多いようです。
たとえば、ぼくの例で言いますと、「オバケのQ太郎」です。初めて雑誌に登場した頃は、頭の毛は三本ではなく、まあ十本近くあったのではないでしょうか。からだも、ちょっとくびれたようなひょうたん形で、全体的にボリュームもありました。なにか気心の知れない不気味さも、初めのうちは少しあったのです。それがかき進んでいるうちに、ふと気づいたら毛が三本になっていて、体形もスマートになり、いくぶん小作りになっていた。それは、作者が意図的にそうしたのではなく、かいているうちに何かそういう必然性があって、あの形にまとまっていった、という感じがするのです。
同時に性格も、次第にはっきりしてきました。ズーズーしく、食欲を思うまま発揮して、お人好しではあるが、まことに近所迷惑なおせっかい……。いきいきと動きだしたのは、連載が始まって何か月かたってのことでした。そうなって初めて、本当のオバQ人気というものが出てきたのだ、と思います。
作者が最初にキャラクターを設定するときは、何もないところから創りだします。一応の青写真は描きます。「やたら食いしん坊」とか「お人好しでおせっかい」とか、ある意図を持ってキャラクターを創るのです。その段階では、単なる設計図にすぎません。血肉を持った存在ではありません。かいているうちに、キャラクターがまんがを作ると同時に、まんががキャラクターを作っていくという相乗効果が始まり、次第に作者も意図しなかったような思いがけない一面をちらりと見せたりするようになる。そういった面白さが生まれ、それをどんどん取りこんでいき、初めてひとつの完成したキャラクターができあがるのです。
とはいえ、キャラクターの独り歩きにまかせっぱなし、というわけにはいきません。行き当たりばったり、やりたい放題でやっても、それは散漫でとりとめのないキャラクターにしかなりません。また、生みの親としての責任の放棄ともいえます。そのかねあいを、ひとつの呼吸として見つけていかなければならない──それが、作家の使命ということになるわけです。